じかん
じかん
「終わり」
ますみ
 私は、終わりと言うことばはちょっとやだなと思いました。学校の体育の時、負けそうになると、みんな、「もうだめだっ!」と言います。私は、そのこと葉に、やる気をなくしてしまいます。その他にも、いやなことばに、『終わり』と言う物があらわれます。
 だれかが死にそうになると、「もう終わりだ。」と言うことが多いです。終わりと言うのは、夕日がしずむ、イメージは出てきます。終わりと言うのは、いい時に使うこともあります。「かふんの時期がやっと終わった。」とか、「かぜがやっと終わりに近づいた。」とかいろいろあります。『終わり』と言う言葉は、よくわかりません。


「始まり」
ますみ(小4のとき)
人間は、けっこん式や始業式などこだわりをもっています。
ですから、始まりも行事にしよう、と思って始まりをだいじにしようと思ったのではないか、と思いました。
始まりの『始』と言う字のいみは次のように、なっていました。
「人は、女の人から生まれるので、女の人は人生の台と言うことから、始の字ができた。」と漢字の本にでていました。
始まり、と言う物はとてもいいことばだと思いました。



「始まり」
たかひろ (小5のとき)
ぼくは、こう考えました。
「始まり」のおかげでいいできごとおこるかもしれません。
一年を始めさせれば、その年にいいことがおこってくれるかもしれないから、 いいことがおこってほしいとねがっていのって、一年をよいとしにしよううとがんばって、 いわうのだと思います。



「私の大切にしている時間」
るい(中1のころ)
もう一つの時間は、さっきのとはうってかわって一人で静かに本を読む時間です。
でもこの時間は本によってちがいます。古代の本をよんでいたりすると、広いへやの真ん中で、時間のカチカチ言う音を聞いているような気持ちになるのです。
でも、現代の本を読んでいると、山小屋の外で、真っ白いシャツが何枚も風にあおられているような気持ちになったりもするのです。



「戦争」
あつたか(小4のころ)
人はみな、欲望を持っているので、戦争が始まったって、それほど不思議ではない。
ぼくも、もし国内で権力を奮っていたら、戦争を始めていたかもしれない。
ぼくは、本を読んだり映画を見たりするまでは、戦争の恐ろしさを少しもしらなかった。もしかすると戦争の恐ろしさを知らない人は、自分の欲を満たすことができる(かもしれない)戦争の方がいいと言うかもしれない。



最終更新日 2002/4/16